机の上に、宝石のような玉が置いてあった。色は、金色に近い黄色。大きさは、指で摘むのにちょうど良いくらいの大きさだった。
 その玉を若い男が拾い上げると、声をかけられた。
「素手では触らない方が良いな、ヴェルツ」
 玉を置き、ヴェルツが声がした方を見る。そこには、この家の主である、ヴェルツと同じくらいの若さの男が立っていた。
「なぜだ?」
 視線を玉に戻し、ヴェルツが男に聞く。
「君はまだ生きているから、大丈夫だとは思うがね。ブロブを知ってるかな?」
「……。液体のような、固体のような、化け物の事か? 聞いた事はあるな」
 ヴェルツが聞き返すと、男は静かに頷いた。
「それは、ブロブの核だ」
 男が言い、机の側の椅子をヴェルツに勧め、自分も腰掛ける。
「核?」
「そいつを死肉の上に置き、しばらく放置する。すると、死肉は溶けてそいつを包み……、めでたく、ブロブが誕生すると言うわけさ」
「なるほど……。今は、こいつの研究でもしてるのか?」
 ヴェルツが玉を軽く突きながら、聞く。
「まさか。処分を頼まれただけさ」
 男はそう言うと、肩を竦めて見せた。

「処分?」
「貴族の中には、装飾品としてブロブの核で着飾る人間がいてね」
「酔狂な話だな」
 ヴェルツが苦笑する。
「それで、最近、ある貴族の老婦人が亡くなったんだが、遺体と一緒に肌身離さず身につけていた、首飾りを埋葬したらしい」
「まさか……」
 ヴェルツは眉をひそませると、ブロブの核を指差した。
「そのまさか、さ。ブロブとして蘇った老婦人は、何人か巻き添えにしたらしいね」
 男とヴェルツが、同時に溜息を吐く。
「迷惑な話だな」
「君も気をつける事だ。まぁ、ブロブの倒し方は簡単だけどね」
 男はそう言うと、ブロブの核を摘み上げた。
「こいつ自身に、刺激を与えるだけ……。それだけで、核とそれを守る油脂のような物は、結合力を失う」
「随分と簡単だな」
 ヴェルツが呆れたように言う。
「小さいうちはね。古い文献によれば、村一つを飲み込んだと言う話もある。ブロブはわかりやすい攻撃力こそ無いが、生き物を自分自身に取り込んで窒息死させる事ができるから、意外と侮れないよ」
「村一つとは、随分だな」
 ヴェルツはそう言うと、大袈裟に肩を竦めて見せた。
「それくらいの大きさだと、核も随分と大きいだろうね。ところで、今日は何を聞きに来たんだい?」
 と、男が話を変える。
「ん? ああ、それなんだが……」

「動く山か……」
 ヴェルツの語った話に、男は眉をひそめた。
「ああ。正体は不明だから、本当に山なのかどうかもわからないがな」
 ヴェルツが頷く。
「君も酔狂な男だね。それを追っているなんて」
「俺の勝手さ。で? 噂にでも、聞いた事は無いか?」
 ヴェルツがそう聞くと、男は首を左右に振った。
「無いね。追い越したんじゃないのかい?」
「ん……。そうかもな。少し、戻って調べてみるか」
 そう言うと、ヴェルツは立ち上がった。
「気をつけたまえ。それが何であれ、山が動くなんてのは、尋常じゃない。君の経験が少ないと言う訳ではないが、動く山を相手にした経験など無いだろう?」
 その忠告に、ヴェルツは苦笑した。
「わかってるさ。嫌な予感がしたら、手を引くよ」
「その嫌な予感も、経験が齎す物。その事を、努々忘れないように」
 重ねての男の忠告に、ヴェルツは頷いた。

 ヴェルツは、来た道を戻った。奥へと道が続く森の手前で、ふと、横を見ると、来る時には気づかなかった山が見えた。
 位置的には、森に遮られる場所で、森の中の道を通ってきたヴェルツが気づかなかったのも、不思議ではない。
(まさか、な)
 が、嫌な予感がした。その山には、違和感があったのだ。
(行くか)
 ヴェルツは頷くと、道を外れその山へと近づいていった。
 しばらく、歩いていくと、ヴェルツは違和感の理由に気づいた。振り返り、森を確認する。
「違う……」
 ぼそりと呟く。
 違和感の正体は、山に生える樹木であった。禿山に近い山であったが、辛うじて生えている木は、森では見なかった種類だった。
 ヴェルツはしばらく、山を観察してみた。少なくとも、今現在は動いているようには見えない。
(ここで眺めていても、埒が明かないか)
 一つ深呼吸をすると、ヴェルツはゆっくりと山へと入っていった。
 その山は、奇妙な山であった。地盤が緩い。そう言う表現が正しいのか、雲の上を歩いているような感じだった。
 その所為で、木が生えづらいのかも知れない。そう考えながら、ヴェルツはひたすら山を登り続けた。
(日が暮れるな……)
 ヴェルツは西を見た。遥か彼方の地平線に、太陽が沈んでいくのが見えた。
(仕方が無い。ここで、休む……。ん?)
 と、ヴェルツは嫌な予感を感じ、周囲を見回した。が、特に何も見えない。
「気のせい……、か?」
 そう呟いた瞬間、ヴェルツは足元の地面が崩れるのを感じた。
「……!」
 そして、ヴェルツは叫び声を上げる間もなく、地面の下へと飲み込まれていった。
(くっ! 息が……!)
 水よりも粘性の高い何かの液体の中で、ヴェルツがもがく。が、暗闇の中、呼吸もできず上下の感覚も失っていたヴェルツは、やがて、意識をも暗闇の中に飲み込まれていった。

(月……。月が……、見える)
 朦朧とした意識の中、ヴェルツは月を見ていた。
 闇を照らす月の光。ヴェルツは、それをぼうっと眺めていた。
(俺は今、どこに?)
 ヴェルツは記憶を辿る。が、何も思い出せない。
 自分が今、どこにいて、どうなっているのか。そして、なぜ、そうなったのか。
 全てが、思い出せない。
(月が近い……、な。まるで、手を伸ばせば……、届き……、そう……)
 再び、意識が遠のいていく。が、無意識のうちに、ヴェルツは月へと手を伸ばしていた。
 そして、月を掴み取った。
(……?)
 ありえない月の感触に、ヴェルツは意識を取り戻した。それと、同時だった。
 手と手を打ち合わせたような、破裂音。それが、ヴェルツの耳に届いた。
 ぐらりと、体が揺れた。そして、最初はゆっくりだったが、徐々に勢いを増し、最後には激流にでも落ちたように、ヴェルツの体は流されていった。
 何が起きたのかわからないまま、ヴェルツは再び意識を失った。

 それから、数時間ほど経ち、ヴェルツが意識を取り戻した。
「げほっ! げほっ!」
 瞬間、酷く咳き込む。
(一体……、何が……?)
 咳が収まり、ヴェルツは倒れたまま、首を動かして周囲を見回した。辺り一面、油の臭いが充満していて、臭いが堪らない。
 いや、それ以前に、ヴェルツ自身も油まみれであり、口の中も油の味で充満していた。
「くそっ……」
 吐き気を堪え、立ち上がろうとする。と、自分が何かを握り締めている事に、ヴェルツは初めて気づいた。
(何だ……?)
 ゆっくりと右手を胸の前に上げ、それを見る。それは金色に輝く、ブロブの核だった。
 が、昨日見た物よりも、何倍も大きい。拳大の大きさをしていた。
「はっ……」
 苦笑し、ヴェルツは再び横になった。おかしくて、立ち上がる気力が出なかったのだ。
(あいつに話したら、何と言うかな? 村一つどころか、まさか、山ほどの大きさのブロブがいたなんてな)
「ははは……」
 ヴェルツが、乾いた笑い声を上げる。
 そのヴェルツを見下ろすように、月が光り輝いていた。