その老人は部屋に入ってきた男を見ると、縋りついて叫んだ。
「お願いだ! 孫の仇を……!」
 男は小さな溜息を吐くと、老人の肩に手を置いた。
「まずは、落ち着け。話は、それからだ」

 老人の話は、こうだった。
 一週間ほど前の事だ。老人の孫娘が行方不明となった。その子の名は、アリサと言った。
 アリサの両親は、すでに他界していた。そのため、アリサは老人にとって、目に入れても痛くないほど大切な孫娘だった。
 年は、20歳となったばかり。アリサは誕生日の日に、村から姿を消したのである。
 老人は、血眼になってアリサを探した。村人も手分けをして、捜索の手伝いをしてくれた。
 が、アリサは見つからなかった。
 その代わりに、別の物が見つかった。村の外を捜索していた村人達が、怪物の姿を見たのである。
 その醜い巨体としわがれた叫び声に、村人達は逃げ帰ってきた。その話を聞いた老人は、もしやと思い、その怪物がいた場所へと向かった。
 怪物は、すぐに見つかった。老人はもっと近くで見ようと、恐る恐る近づいていった。と、怪物と目があった。
 一瞬の間を置き、怪物が雄叫びを上げて、老人に襲いかかってきた。老人は慌てて背を向けると、命からがら村の中へと逃げていった。運良く、怪物は村の中までは追ってこなかった。
 詳しく、怪物を観察する暇は無かった。が、老人は確信した。
 アリサは、怪物に襲われたのだと。
 なぜならば、老人は見ていたからだ。アリサがお守り代わりに左手の指にはめていた、母親の形見の指輪を。

「村人達も怪物を恐れ、近づこうともせん。もちろん、わしがすべき事だとは、重々承知している。だが、わしでは……」
 老人は悔しそうに表情を歪め、力無く俯いた。
「わかっている。だから、俺を呼んだんだろう?」
 その男の言葉に、老人は顔を上げた。
「やってくれるのか?」
「但し、結果に関わらず、依頼料の半分を前金で貰う。わかってるな?」
「わかってるとも、これが前金だ。確かめてくれ」
 老人はそう言うと、腰に提げていた袋を男に渡した。男は軽く中を確認すると、小さく頷いた。
「契約成立だ」
「よろしく、お願いします。せめて、あの指輪だけでも、取り返してくだされ」
 老人は、最後にそう言った。

 村の外に出ると、左手に怪物の姿が見えた。怪物は遠巻きに、村の方を窺っているように見えた。男には、まだ気づいていない。
 男は真っ直ぐに、怪物へと近づいていった。隠れて近づくのに、ちょうど良い障害物は無かった。
 しばらくして、怪物は男の足音に気づき、こちらを見た。
「あれか……」
 怪物に気づかれた事も気にせず、男は怪物の左手を見ていた。確かに、そこには怪物の指に食い込む指輪があった。
「ふん」
 嘲るように、男が鼻を鳴らす。
(人食いの怪物が、身を飾るとはな)
 男は尚も怪物に近づきながら、腰の剣を引き抜いた。その動作に、怪物が怯えたように後退りする。
(何だ?)
 その時、男は言葉にできない違和感を感じた。が、それを無視する事にした。ほんの僅かな迷いが死を呼び寄せる事を、男は知っていたからである。
 ある程度まで間合いを縮めると、一足飛びに男は怪物に詰め寄った。そして、怪物目掛けて剣を振るう。
 軽い手応えと、何かが足元に落ちる音がした。
 怪物が何かを喚きながら、男から逃げ出す。いくつかの指を失った左手から、血を撒き散らしていた。
「逃がすか!」
 すぐさま、男は怪物を追いかけようとした。が、なぜか、男はそうしなかった。
 男は足元に落ちた、怪物の指を拾い上げた。男の視線は、その指にはめられていた、指輪に注がれていた。

 再び、老人の前に男が現れた。
「すまない。逃げられた」
 男はそう言うと、溜息を吐いた。老人の表情には、失望の色がありありと窺えた。
「その代わりと言うわけじゃないが……」
 男はそう言うと、老人に右手を差し出した。その掌の上には、指輪があった。
「……っ!」
 しばらくの間、老人は声を失っていた。恐る恐る、指輪を手にする。
「おぅ。おぅ。ありがとう。ありがとう。本当に……、本当にありがとうございます」
 老人は大粒の涙を流しながら、堰を切ったようにお礼の言葉を繰り返した。
「礼を言われるような事じゃない」
「そうだ。依頼料の残りを……」
 そう言いかけた老人に、男が首を振る。
「依頼は果たせなかった。受け取るわけにはいかない」
 その男の言葉に、老人も首を振った。
「いや。わしはこの指輪を取り返してくれただけで、充分じゃ。だから、これを受け取って欲しい」
 前金を払った時のように、老人が腰に提げていた袋を男に差し出す。が、男が頑なにそれを拒んだため、老人の方が折れるしかなかった。

 拾い上げた指から、男は指輪を引き抜こうとした。が、肉にきつく食い込んで、中々抜けなかった。
 どうにか、指輪抜くと男はしばらくの間、その指輪を見つめていた。その後、怪物が逃げた方を見る。
 男の予想通り、怪物はそれほど遠くには逃げていなかった。男を、いや、男が手にする指輪を見つめていた。
 それを見ると、男は剣を鞘に収め、怪物へとゆっくりと近づいていった。
「あんた……、アリサか?」
 男のその言葉に、怪物はびっくりしたように両目を瞬かせた。そして、小さく頷いた。
「そうか」
 男が、少し困ったように頷く。
(病気か? 呪いか? いずれにせよ、困った物だな)
 男は深い溜息を吐くと、怪物をじっと見つめた。そして、ゆっくりと口を開く。
「なぁ。もし、人間に戻れるとしたら、どうする?」
 一瞬、怪物の動きが止まる。そして、咽喉の奥から搾り出すような、呻き声を発した。
「ああ、首を振って答えてくれ。もし、人間に戻れるとしたら、俺の言うとおりにするか? 但し、あんたが死んでると思っている、あのじいさんとは二度と会えない」
 その男の言葉に、怪物はしばらく答えを出せなかった。
「どうする? このまま、怪物としてこの村の側に居続けるか?」
 男のその問いかけに、今度は首を左右に振って答えた。男は頷くと、懐から紙を取り出し、何かを認めだした。
 その紙と印をつけた地図、そして、腰に無造作につるしていた袋を怪物に手渡すと、男は言った。
「その印をつけた森の中に、偏屈な医者がいる。まぁ、医者と言っても、かなり、怪しい物だが。そいつなら、何か知ってるかもしれない。その手紙を見せれば、何とかしてくれるだろう」
 それを聞くと、怪物は手渡された袋に視線を移した。
「そいつは、治療代だ。あいつは善意で治療するような、玉じゃないんでな。逆に言うと、金さえ払えば、怪物の姿をしていようと、構いはしない奴でな」
 それでも、怪物は何かを訴えかけるように、男を見つめた。
「俺の事なら、心配するな。あんたのじいさんから、そいつと同じ分だけの依頼料を貰う手はずになっている。ああ、その代わり……」
 そこで、男は怪物の目の前に指輪を出した。
「じいさんにはこいつを渡して、納得して貰う。だから、こいつは諦めてくれ」
 怪物が恐る恐る頷くのを見ると、男は笑みを浮かべた。
「ありがとよ。あんたが元の姿に戻れる事を祈ってる」
 男はそう言うと、老人の待つ村へと歩き出していった。